sarushima-27

猿島探索記

歴史探索グループ 水上則子

◆実施日:2月21日(土)

◆参加者:30名+ガイドさん2名 


《10時出航!》

4月からは入島料がかかるとのことで猿島散策は3月に予定。しかし、2月であれば横須賀市民は乗船料半額との情報があり、又々欲につられ急遽変更。

寒さが厳しかったらどうしよう。海が荒れたらどうしよう。不安は尽きなかったが、当日は快晴、海穏やか。暖かい絶好の探索日和となった。感謝。ガイドさんが2名付いて下さる。穏やかで透き通った冬の海から横須賀の街を見る。なかなか美しい。

 

《猿島とは、どんな島?》

最初、十島と言われていたそうだ。それが豊島となり、猿島となったこの島は無人の島である。しかし、縄文・弥生時代の貝塚(平坂貝塚)等が見つかっているが、水が無い猿島に何故、人が住むことが出来たのだろうか。

猿島は、2万年前には今の平坂上辺りと陸続きであったとのこと。古代の人々は水がないのに何故生活出来たのか、これで納得である。

又、猿島は伝説の島でもある。「猿島」の名前の由来となった日蓮と白猿の話、日蓮と角無しさざえの話等が多々ある。今でもたまに「角無しさざえ」が採れるそうだ。なんともロマンを感じさせる島である。と思いきや、幕末から第二次世界大戦までは防衛の拠点となっていたのだ。その後、アメリカ軍に接収された。海水浴が出来たりしたが、立ち入り禁止となっていた時期もある。猿島は、要塞の島。防衛の島でもあった。

 

《昔の面影は?》

若かりし頃、一度や二度、猿島に来た方は多いのではないだろうか。私もその一人である。どのくらい前になるだろうか、1度訪れたことがある。当時は木々が生い茂った薄暗い凸凹道を歩いた記憶があるが、今は整備された木道が続いている明るく、洗練された場所との印象を受けた。これ以上、人の手が入って欲しくない気もするが、人を誘致するためには手を入れ、危険を排除しなければならないのも常である。

 

《フランス積みとイギリス(オランダ)積み》

両サイドがレンガ積みになっている切通しは美しい。壁やトンネルのレンガ積みには圧倒される。猿島が国の文化遺産となったのも頷ける、

横、縦と交互に並べる積み方をフランス積みと言うそうだ。又、一段目は横、二段目は縦に並べていく工法をイギリス積み。これからは何処へ行ってもレンガや石積みに目がいきそうだ。

両サイドのレンガの壁を比べると片方の壁は真っ直ぐに建っているが、対面は上の方が外側に反っている。これは日本の城の石垣の積み方を取り入れたとの事だ。

切通しの端にくるとレンガ壁は一面緑の苔でおおわれていた。苔好きにはたまらない光景だ。

そしてトンネル。つい最近造られたかのような新しさだが、完成は明治17年。貴重な近代歴史遺産の1つである。泥にまみれていたが洗い落としてみるとフランス積みの美しいトンネルが現れたとの事だ。泥が風雨から守ってくれたのであろう。

 

《日蓮洞窟》

砲台跡を通り、何段もの階段を下り洞窟へ

途中、青い澄んだ海の色に目を奪われる。岩場で釣り人発見。波にさらわれないかと冷や冷やしたが、綺麗な海で獲れた魚はさぞかし美味しいのだろう。

日蓮が房総からの途中、避難したと言われる洞窟はイメージしていた所とは違い、明るく、間口が広い清潔感のある場所であったのは少し意外な感じがした。

 

《要塞としての島》

展望台までの途中、途中には砲台跡が何か所もあり、要塞としての島だったことを実感する。この山頂からは縄文土器も出土している。又、ショッカーの基地として使われた場所でもあるため、ファンには懐かしい場所でもあるだろう。 島を2時間ほどかけ、ゆったりと一周。心地よい疲れを感じる頃、探索終了。記念写真では参加者皆様の笑顔が印象的であった。

 

《最後に》

歴史探索に参加するようになり、三浦半島の素晴らしさを実感するようになった。今回も又、横須賀を再発見することが出来た。残念ながら参加出来なかったリーダーが計画し、お膳立て下さったお蔭と感謝申し上げたい。又、様々なお骨折りをして下さったお二人のガイドさんにも深く御礼を申し上げたい。皆様の又のご参加を希いながら、猿島探索記を終わりとさせて頂く。

 



inserted by FC2 system