「皇国の興廃この一戦にあり」 三笠見学記                           senkanmikasa

  8月31日 歴史と自然探索、三笠見学には総勢16名が参加。

     9時半よりの歴史と自然探索リーダーの説明。引き込まれる。

《しらなかったこと満載》

  全長122m、幅23mの三笠がどうしてこの横須賀に置かれたのか?今も三笠のマストに掲げ
  られ  ている2種の旗にはどんな意味合いがあるのか?等、等、等。

《旗艦 三笠》

乗組員総勢859名

ロシアの侵攻が著しくなり、日本も存亡の危機に立たされる。そのための防衛戦争が日露戦争であった。当時、三笠は最大級の戦艦であり、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊の旗艦であった。バルチック艦隊の集中砲火を浴びながらも怯むことなく常に連合艦隊の先頭で戦い、日本海海 戦で大勝利を収めた。

乗組員は総数859名、燃料は石炭。30p主砲の着弾距離は10K、砲は40名で操作。東郷は接近戦を好むと何かで読んだ気がするが、好むと好まざるに関わらず10kしか飛ばない砲弾で戦うには接近戦しかないのかもしれない。

栄光の三笠も海戦勝利後、明治38年佐世保にて弾薬庫に火がつき、戦死者は41名であったのに、この事故で339名もの命を失った。

世界軍縮会議の結果と石油が燃料に使われるようになると「三笠」の役目も終わる。軍籍を離れ東京へ曳航途中、横須賀で大正震災に遭い、艦底を破損しやむなく、当地横須賀に設置される。

《大将旗》

 今も三笠のメインマストには大将旗がはためいている。東郷平八郎が指揮官として乗った栄光ある旗艦の印である。

《Z旗》

 本来Z旗は、大型船が接岸する際、タグボートを要請する為に掲げる旗である。国際信号旗はアルファベットA〜Zまでの26種あり、Z旗は最後になる。

 その意味から東郷は三笠にZ旗を掲げ、あの有名な言葉である「皇国の興廃この一戦にあり、
  各員 一層奮励努力せよ」を連合艦隊に発した。
 
  

《東郷平八郎》

公園の記念艦三笠の雄姿の前に対馬に向かい、威風堂々と立つ東郷平八郎像があるが、東郷の身長は153pという小柄だった。又、東郷は敵前に琵琶を聴く風雅さも持っていたようだ。

日本海海戦の口火が切られた時の東郷の言葉は今も我々の知る所である。Z旗を 掲げ艦隊を鼓舞した東郷の一歩も引かない決意が満ち満ちている。なんと凄い言葉と行動だろうか。当時を知らない者でさえ、胸に熱い物が湧きあがる。

戦いの間、東郷は最上艦橋から指揮をしていたそうだ。今も東郷が立っていた場所にはプレートが置かれている。是非一度、そこに立ち、東郷の気構えを少し頂いては如何だろうか。

《記念艦みかさ苦難の時代》

第二次世界大戦が終結した時、戦勝国の連合軍名により上甲板の主砲は勿論、全ての物が取り壊された。そして、出来たのがダンスホールや水族館であった。

解体されるかも知れない「三笠」を、保存したいとする声は国内ばかりでなく、海外の知識人や東郷を崇拝する人達からあがり保存が決定。その後、多くの人々の善意により昭和36年に復元された。

《みかさ艦内を巡る》

歴史と自然探索リーダーの詳しく、分かり易い説明に導かれながら艦内を見学。

「三笠」の艦首は皇居を向いているそうだ。艦首に立ち、あちらが皇居かと思いを馳せてみるのもよいのではないだろうか。

艦首飾りは皇室の紋章である菊花紋である。艦の前方に回ると艦首飾りが付いているのが見える。しかし間近で見る三笠の艦首飾りは驚く程大きい。ちなみに通常の船は船首・船尾というが軍艦は艦首・艦尾と言うそうだ。

副砲室には15p砲と共に10名のハンモックがあり、説明にあったように砲と命運を共にしていたことがよく分かる。

上甲板の通信室前の幅広板は当時のまま。東郷長官も歩いたであろう所を歩くのは何だか恐れ多い気もした。

海軍は中々優雅な面も見せている。猫足のバスタブが設置され、素晴らしい家具調度には驚かされる。勿論、全てが優雅とは言えないが。艦内に飾られていた東郷長官の直筆も素晴らしい物であった。

  東郷司令官のみが昇降出来た階段がある。折角だからと皆で上り、東郷気分をほんの少し味わいニンマリ。

三笠の中は広い。だが1時間の見学はアッと言う間であった。帰りにはZ旗の

バッチを頂いた。満ち足りた時間を過ごせたことに感謝。

横須賀市民としてこの地に三笠が置かれていることを誇りとしたい。

最後に、この投稿を致す折、沢山のご指導とご助言を頂いた歴史と自然探索リーダー

山倉様に心より御礼を申し上げたい。

                   歴史と自然探索G 水上記



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