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       よこすか街中歩き 第2弾            歴史探索部会

 

10月22日(木) 雲一つない秋晴れとなりました。本日はPCグループ、山倉リーダーの元 総勢19名が

ここ、Yデッキ 9時15分集合・9時30分に出発!に参加となりました。皆さん!頑張って歩きましょう。

本日の探索は 平坂・青少年会館・平坂貝塚・龍本寺・中央公園・聖徳寺・赤門・田戸小前の碑・料亭小松・

米ヶ浜通り・おりょうさんの終鳶・YYポート。

 

平坂、明治10年に開通しました。勾配が意外と長いので戦時中木炭バスは走っていて途中で止まってしまい、乗客が降りて後から押したそうです。平坂を登り切った左の坂道を2,3分歩いた所が青少年会館です。明治はめは刑務所あったそうです。

何年か経って取り壊しその後、横須賀立女学校(明治41年)の発祥地で昭和5年大津に移した時、県に移管し

県立となり県立大津高等女学校現在は男女共学の横須賀大津高等学校になっています。会館から少し下った所に、

平坂貝塚があるのですが、民家の庭にありますので、入れません。リーダーの説明からですが、貝塚付近で

9000年前の人骨が発掘され日本最古とのことです。発掘土器類は現在、明治大学で保管している。

龍本寺 日蓮宗(猿海山)創建は760年前、
現在の本堂は200年前のものと言われる。

日蓮上人は37日間
洞穴にこもり、お経を唱え
修行し信者からは、「米ヶ浜のお祖師様」と言
われ崇拝されていた。 

本堂には、
日蓮信者の加藤清正の像が祀って
あります。


中央公園 元は砲台山。明治24年米ヶ浜砲台が築かれ、8門の大砲が設置された。しかし、一発の実弾も発射

する事なく昭和20年終戦で取り壊された。その後、昭和39年に公園が出来た。桜・梅が植えられ他に色々な植物も。文化会館、博物館も建った。公園内には「非核三原則」の塔(20m)が建っていた。4〜5m歩いた

所に横須賀市再建の恩人デッカー司令官の胸像があり、その先に戦没者の慰霊塔が建っていた。

 

自然・人文・博物館には、ナウマンゾウ(レプリカ)が展示してある。横須賀市で化石が見つかっている。(横須賀製鉄所の施設内)下顎・肩甲骨・上腕骨です。

正面玄関出たところに、胸像があり向かって左が、栗本鋤雲(造船所陰の立役者仏語通訳)右に、

小栗上野忠順があった。

小栗上野忠順 栗本鋤雲 デッカー司令官



聖徳寺 田戸台にあり浄土宗の寺で、公郷山田津院聖徳寺と言う。江戸中期文和2年(1352)に再建。

 

赤門 朱塗りであったことから赤門と呼ばれるよう

になった。

門を建てたのは、永嶋家!永島家は三浦氏の

子孫で、小田原北条氏の浜代官を務めた旧家です。

門の右側に浦賀道を示す石道標があった.
   

                                   


田戸小学校庭内 殉職した龍崎訓導先生の 碑があった。

4年生の児童200名連れ同僚3名と課外授業に出かけたおり、

踏切を渡ろうとした時一人の児童が踏切に入ろうとした。

その時に電車が来た ため龍崎先生は、踏切の外へ児童を

出しご自分が跳ねられ殉職したと言う。

因みに当時は京浜急行ではなく、東京急行だったそうです。



料亭小松  山本小松が江戸末期、浦賀で割烹修行し36歳の時に小松を開いた。大正12年震災後現在の地に移転!二代目直枝女将時代に歴代鎮守府長官の「書」を飾り書かれた内容を説明してくれたの事です。

 

米ヶ浜通り 戦前は花柳界だった。芸者衆が大勢いた。

 

おりょうさん、終焉の地

坂本竜馬の妻である『おりょう』は竜馬の死後。高知に渡ったが竜馬の家族と折り合いが悪く大変勝気な女性

だったと言われている。その後横浜で仲居をしてた時に再婚し西村ツルと名乗り最後は横須賀で亡くなった。

 

YYポート

最後の行程となりました。横須賀産のお土産が陳列してあり、美味しそうなお菓子も沢山並んでいました。

地方のお友達とか、親戚の手土産に最適ではないでしょうか?

 

本日の、歴史探索は無事終わりました。お疲れ様でした!天気も良かったし参加された皆様の心がけも良かったのでは!と思っています。ご協力頂き有難うございました。

 

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